シューフィット・神戸屋の歴史と歩み Table of Contents Toggle 信頼を築いた関西の老舗靴メーカー靴を売るだけではない、新たな挑戦長い歴史が支える信頼靴選びから始まる人生の変化 信頼を築いた関西の老舗靴メーカー 神戸屋製靴所 創業者:平野永太郎職人を大事に育て、ロシア宮廷への輸出で成功 明治30年ごろの神戸元町と神戸屋 日本で3番目に導入した、機械式グッドイヤー製法 明治27年(1894年)に創業したシューフィット・神戸屋は、日本の靴文化とともに歩んできた老舗の靴屋です。その長い歴史の中で、靴の製造販売から、販売専業になり、さらにお客様一人ひとりに寄り添う「靴選びのアドバイザー」としての新たな役割を築いてきました。 靴を売るだけではない、新たな挑戦 長年靴を販売してきた中で、在庫を抱えるという現実と、販売しなければ成り立たないというビジネス上の課題に直面してきました。しかし、私たちは「お客様に嘘やいい加減なことを伝えたくない」という強い信念を持っています。そのため、販売だけに頼るのではなく、靴選びのアドバイスやコンサルティング、さらには中敷き(インソール)の調整サービスに力を入れることを決意しました。このアプローチは、お客様にとって最適な靴選びをサポートすることを目的としており、靴に関する不安や悩みを解消するための新たな道を切り開きました。 長い歴史が支える信頼 創業当初、創業者(※)がサンフランシスコでの靴修理工場での厳しい環境で、職人同士が共に助け合ってきた経験から、職人を大事にし、「お客様第一主義」を貫いてきました。「木型の神戸屋」と言われる、名のしれた一流の職人を中心に、海外の技術も取り入れた先進的靴メーカーでした。注文靴ではなく、既製品でハイセンスな商品を提供する靴屋として、神戸元町を代表するオシャレの情報発信元でも合ったのです。ロシア革命前ロシアの貴族階級で流行した「ブル型」と呼ばれたパンプスは、神戸からヨーロッパに輸出される靴の70%以上を占めるほどの大ヒット商品でした。その後、創業者の急死に引き続く、ロシア革命、昭和恐慌を経て、倒産、小売部門だけが残ることになりました。 その小売部門であった「神戸元町・コウベヤ」も靴屋という役割を終え、お客様の足元から全身の健康を支える「靴は売らない靴屋」シューフィット神戸屋に進化しています。 【 コラム】※創業者の平野永太郎は、当時アメリカ西海岸で盛んであった日本人排斥運動で、日常品も買えず厳しい環境にあった、靴工場、洋服工場で働く日本人労働者の共同購入組織、日本初の「生活協同組合」的な組織を立ち上げ、さらに労働組合の立ち上げにも参加。徒弟制度=無給が当たり前の靴業界で、相場以上の給金を払い職人を大事する、労働組合史にも名が残る「親方」でした。 靴選びから始まる人生の変化 シューフィット・神戸屋では、「靴選びが変われば、歩き方が変わる。歩き方が変われば、人生が変わる」と考えています。お客様の悩みや希望を丁寧に伺い、一緒に解決策を見つけるプロセスは、単なる買い物以上の価値を提供します。もしあなたが靴に関して悩みを抱えているなら、ぜひご相談ください。足に合う靴を見つけることで、日々の生活がより快適になり、健康や自信を取り戻すお手伝いをいたします。シューフィット・神戸屋では、足元から始まる快適な未来を応援しています。お気軽にご相談ください。⇒ 詳しいメニューはこちらから